好き、憧れ、に価値はないですか

 

 

「お金にならなきゃ意味がない」

という考えが、世間に蔓延っているように思う。

 

 

 

大学の奨学金返済が大変、という話題に対して、

奨学金も返せない程度の職にしか就けないんなら大学行く意味w」

という声が散見されたり。

 

ある程度の年齢になって、語学や音楽の趣味を嗜んでいる人に対して、

「今さら、仕事にもならないのに何やってんの?」

とお節介を言ったり。

 

 

そういう考えに触れる度に、悔しい、そして後ろめたい気持ちになる。

 

 

 

私は、将来お金にならないことに、お金と時間と労力をつぎ込んで生きてきた。

好きなもの、憧れたものに正直に生きてきた結果である。

そしてそれが真に正しいことだと、大した根拠は無いが信じて疑わなかった。

主に、ヴァイオリンと、大学での学問(人文学)である。

 

思い返すだけで息切れしてしまうので、2度に分けて書きたい。

今回は、ヴァイオリンの話。

 

 

 

私は12歳でヴァイオリンを始めた。

ヴァイオリンというものは、それで一銭でも得ようと思うなら、幼稚園に通う頃には始めたい楽器だ。プロにならないにしても、人に聴かせられるくらい上手くなるには、なるべく早くから習うに越したことはない。

 

私だってそういうことは理解していたし、別にヴァイオリンで食ってこうなんて思いもしなかった。2歳から別の楽器をやっていたこともあり、音楽の世界で上を目指すことの厳しさは全く知らないわけではなかった。

 

ただ純粋に、ヴァイオリンの音色に惚れて、私も弾きたい、上手に弾けるようになりたいと願ったまでである。

 

 

レッスンに通い始め、安物だったがヴァイオリンを買ってもらい、憧れだった楽器に触れられることが嬉しくて、かなり練習した。そのハマり様は、まるで新しいおもちゃを手に入れた幼児と変わらなかった。

また、本気でヴァイオリンに取り組めるのは学生時代だけだろうと、タイムリミットは大学を卒業する22歳までの10年間だと、当初から決めており、少しの焦りもあった。

10年で、憧れの音色を出せるまでにならなければいけないと。

 

言うまでもなく、当時の演奏はしずかちゃん状態だったが、しかしその長い道のりすら、心から楽しんでいた。

 

 

 

16歳頃になると、使っていたヴァイオリンに限界が来た。老朽化とかではなく、もともと楽器としてレベルの高いものではなかったので、私の出したい音色や表現に、楽器がついてこなくなったのだ(上手な人は安物の楽器でも上手に演奏できるが、それは良い楽器を使って勉強してきたからであり、学習者はいつまでも安物の楽器を使っていては上達が頭打ちになる)。

イムリミット付きでヴァイオリンを練習していた私は、これではいけないと焦り、新しい楽器を買って欲しいと親に訴えた。

 

 

しかし、その交渉は困難を極めた。

 

 

親の言い分には次のようなものがあった。

 

「今さらそんな真剣にヴァイオリンをやって何になるんだ」

「お金と時間を掛けたところで、ヴァイオリンからは何も生まれない」

「もう随分ヴァイオリンにはつぎ込んだ。そろそろこのへんでやめておけ」

 

 

そのすべてが、私には納得できなかった。納得できないばかりか、勝手ながらかなり傷ついた。

 

 

バイト禁止の高校生だったので、金銭面では完全に親に負担を掛けていた。それはわかっていた。それでも、私にとってはなにより大事で、練習することだけで価値のあるヴァイオリンに対してこのように言われること、言われる以前に思われていることが、新しい楽器を買ってもらえないことよりずっと許せなかった。

 

 

「ヴァイオリンをやって何になる」

 

 

何にもならないよ。ただ好きだから、夢だから、憧れだからやっている。

見返りがないとやってはいけないの? 趣味って何? というか、本当に何にもならないの?

 

私が今までやってきた練習は全部ムダ?

 

音楽に触れて、人生が豊かになる。それで充分すばらしい答えだと思うけど、それじゃダメ?

 

 

何度も自問自答して、親にもぶつけた。しかし理解は得られなかった。

 

時に、「お金が一番大事なんだよ」とも言われた。きっと一生忘れない。

 

 

1年だか2年だか説得を続け、ようやく親の許しを得て新しい楽器を手に入れた。

当然と言われれば当然だが、全額、自分のお金で支払った。約17年間分のお年玉や、親戚からいただいたお小遣いをつぎ込み、足りない分は大学生になってからアルバイト代で返した。

それでも、「長年貯めたお金をヴァイオリンに変えてしまっていいのか」と何度も止められた。私にとって、ヴァイオリン以上に価値のあるものは何もないのに。

 

 

私にとって、当時一番の生きがいといっても過言ではなかったヴァイオリンは、親によって真っ向から否定された。

それくらいで情熱が冷めるほど私のヴァイオリンへの想いは甘くなかったが、それでも、やっても意味がない、ムダだと考えている人がすぐ近くにいること、そしてそのような考えが世の中に存在すること自体が私を苦しめた。

 

 

 

締まりなくだらだら書いてしまった。

今回はこのあたりで。次は、大学での学びの話。